台風17号が関東地方を直撃しそう・・とのニュースも流れていましたが、腫れたり曇ったりの天候のなか、横浜駅東口を出発しました。
高層マンションのエスカレーターをのぼり2Fのデッキを進みます。
国道1号線の歩道橋を渡ると、まもなく終了するキャッツシアターが見えてきます。
この前を通り過ぎ、みなとみらい線新高島駅まで直進。ここから左折し東神奈川方面へと向かいます。
円筒状の富士ゼロックスビルの先からはポートサイド地区の高層マンション群が
JRの駅ビルは以前はカミンという名前でしたが、CIALという名前でリニューアルオープンします。
本日のゴールは鶴見駅、お疲れ様でした。
i-podの電池が途中できれてしまい、歩数と距離は記録できませんでした。
残念。
高層マンションのエスカレーターをのぼり2Fのデッキを進みます。
国道1号線の歩道橋を渡ると、まもなく終了するキャッツシアターが見えてきます。
円筒状の富士ゼロックスビルの先からはポートサイド地区の高層マンション群が
運河沿いに並び壮観です。
テクテクと15号線を神奈川公園、首都高速・東神奈川ランプを横目に歩いていきます。
浦島町交差点を右に曲がり、細い路地を入って行くと横羽線のガード下に運河があります。
このあたりは昔の漁村のような雰囲気が味わえます。
そういえば、生麦事変の碑がなくなっているな~と思い、見回してみると
テクテクと15号線を神奈川公園、首都高速・東神奈川ランプを横目に歩いていきます。
浦島町交差点を右に曲がり、細い路地を入って行くと横羽線のガード下に運河があります。
このあたりは昔の漁村のような雰囲気が味わえます。
運河に沿って漁船が並ぶ景色は神奈川50選にも選ばれています。
再び15号線に戻り鶴見方面に進んでゆくと、時々訪れごちそうになっている
「キリンビヤビレッジ」です。
今日は見学予約をしていないので、素通りします。
この付近は横浜環状北線という新たな高速道路の建設中。
あちこちに工事の仮囲いが立てられています。
移設の案内看板が。
一時的に移設されているようです。(150m程東京寄りにあります)
キリンの工場に沿って細い道を進むと、大黒町へとつながる大きな道路に出ます。
これを横切り、そのまま直進します。
すると、街灯に「生麦魚河岸」の看板があります。
生麦魚河岸通りは徳川幕府以来、御菜八ケ浦のひとつとして、江戸城に野菜・魚などを
一時的に移設されているようです。(150m程東京寄りにあります)
キリンの工場に沿って細い道を進むと、大黒町へとつながる大きな道路に出ます。
これを横切り、そのまま直進します。
すると、街灯に「生麦魚河岸」の看板があります。
生麦魚河岸通りは徳川幕府以来、御菜八ケ浦のひとつとして、江戸城に野菜・魚などを
定期的に献上しており、文政11年頃には、生麦村242軒の4分の1が漁業に従事していたそうです。
しかし明治末頃から始まった海岸の埋立で漁業が衰退し、
しかし明治末頃から始まった海岸の埋立で漁業が衰退し、
昭和46年に漁業は完全になくなりました。
ただし、昭和30年代に魚介類を商うは残り現在の姿になったのだそうです。
今日は日曜日のせいか、お店はシャッターが閉まっていて
今日は日曜日のせいか、お店はシャッターが閉まっていて
活気ある雰囲気は味わえませんでした。
また改めて来てみたいですね。
しばらく進むとJR鶴見線の国道駅です。
昭和5年(1930)に開設した駅で駅舎はアールヌーボー風?の建物です。
開設当時には、ホーム下に「臨港デパート」があり、食品、雑貨、医薬品がなどが販売されていたそうです。
しばらく進むとJR鶴見線の国道駅です。
昭和5年(1930)に開設した駅で駅舎はアールヌーボー風?の建物です。
開設当時には、ホーム下に「臨港デパート」があり、食品、雑貨、医薬品がなどが販売されていたそうです。
旧東海道の生麦魚河岸や、花月園を利用するお客さんなどで、駅周辺は賑やかな盛り場だったそう。
今は閑散として、ややノスタルジックな雰囲気です。
ここから鶴見駅まではあとわずか。商店街を進むと京急鶴見駅に到着です。
ここから鶴見駅まではあとわずか。商店街を進むと京急鶴見駅に到着です。
JRの駅ビルは以前はカミンという名前でしたが、CIALという名前でリニューアルオープンします。
本日のゴールは鶴見駅、お疲れ様でした。
i-podの電池が途中できれてしまい、歩数と距離は記録できませんでした。
残念。