横浜駅東口から鶴見駅まで

台風17号が関東地方を直撃しそう・・とのニュースも流れていましたが、腫れたり曇ったりの天候のなか、横浜駅東口を出発しました。
高層マンションのエスカレーターをのぼり2Fのデッキを進みます。
国道1号線の歩道橋を渡ると、まもなく終了するキャッツシアターが見えてきます。


この前を通り過ぎ、みなとみらい線新高島駅まで直進。ここから左折し東神奈川方面へと向かいます。
円筒状の富士ゼロックスビルの先からはポートサイド地区の高層マンション群が
運河沿いに並び壮観です。
テクテクと15号線を神奈川公園、首都高速・東神奈川ランプを横目に歩いていきます。

浦島町交差点を右に曲がり、細い路地を入って行くと横羽線のガード下に運河があります。
このあたりは昔の漁村のような雰囲気が味わえます。



運河に沿って漁船が並ぶ景色は神奈川50選にも選ばれています。

再び15号線に戻り鶴見方面に進んでゆくと、時々訪れごちそうになっている
「キリンビヤビレッジ」です。
今日は見学予約をしていないので、素通りします。
この付近は横浜環状北線という新たな高速道路の建設中。
あちこちに工事の仮囲いが立てられています。

そういえば、生麦事変の碑がなくなっているな~と思い、見回してみると
移設の案内看板が。
一時的に移設されているようです。(150m程東京寄りにあります)


キリンの工場に沿って細い道を進むと、大黒町へとつながる大きな道路に出ます。
これを横切り、そのまま直進します。
すると、街灯に「生麦魚河岸」の看板があります。


生麦魚河岸通りは徳川幕府以来、御菜八ケ浦のひとつとして、江戸城に野菜・魚などを
定期的に献上しており、文政11年頃には、生麦村242軒の4分の1が漁業に従事していたそうです。
しかし明治末頃から始まった海岸の埋立で漁業が衰退し、
昭和46年に漁業は完全になくなりました。
ただし、昭和30年代に魚介類を商うは残り現在の姿になったのだそうです。

今日は日曜日のせいか、お店はシャッターが閉まっていて
活気ある雰囲気は味わえませんでした。
また改めて来てみたいですね。

しばらく進むとJR鶴見線の国道駅です。


昭和5年(1930)に開設した駅で駅舎はアールヌーボー風?の建物です。
開設当時には、ホーム下に「臨港デパート」があり、食品、雑貨、医薬品がなどが販売されていたそうです。
旧東海道の生麦魚河岸や、花月園を利用するお客さんなどで、駅周辺は賑やかな盛り場だったそう。
今は閑散として、ややノスタルジックな雰囲気です。

ここから鶴見駅まではあとわずか。商店街を進むと京急鶴見駅に到着です。

JRの駅ビルは以前はカミンという名前でしたが、CIALという名前でリニューアルオープンします。

本日のゴールは鶴見駅、お疲れ様でした。

i-podの電池が途中できれてしまい、歩数と距離は記録できませんでした。
残念。